Rakraの雑記

好きなことを好きなように書いています

報酬はなくてもやらなければいけないことがあるのではないか

沈黙、何よりも難しい

随分と期間が空いてしまったが、また書いていこうと思う。

さて、世の中には試し行為というものをする人がいる。好きな人にわざと冷たい対応を取ったりとか、まあそういうやつである。少し考えれば意味がないどころがマイナスになること間違いなしなのに、今日もどこかでそれを行う人がいるのである。Xを見ていれば、アイドルさんだとか運営だとかに意味のない嫌味を言う人間はごまんといる。そんなことをしてもいいことはないと思うのだが。

 

斜に構えれば正しく転がり落ちる

病んだアピールも同様だ。心配してくれる素振りは見せてくれるだろうが、その実心の中では面倒に思うことは間違いない。誰しも無限のリソースは持っておらず、面倒な相手の対応は自身のリソースを確実に削っていく。それがいつかは人によるが、限界が来るのは間違いない。その時になっても遅いのだが、やっぱり病む人間も枚挙にいとまがない。自分の推しメンは罵倒しないが、そのほかのオタクやアイドルさん、運営さんを口悪く罵っている人間を一人知っているが、なんだか哀れなものである。

悪口とは基本的に言ってよいことはない。そういうことを言う人間だと思われたが最後、相手からはどこかでそれを前提とした対応を取られることになるのである。普段は忘れていても、ふとした時にそれを思い出し、なんだか言葉にできない気持ちになるのである。もしかしたら、みなさんも普段仲良くしている人間の嫌なところをふと思い出し、後味悪い気持ちになったことがあるかもしれない。

いう必要のないことで、未来に地雷を埋める必要はないのだ。

 

しなかったから良いことがあるわけでもない

では、悪口や病まずに爽やかな対応をしていれば良いことがあるのかと言えば、当然比較できないのでわからない。人間合う合わないがあるし、心の中は決して見えないのだから、愛想よく対応してくれていても案外胸の中では嫌われているのかもしれない。

誰しも機嫌がよくないときがあり、そういう時は誰かに当たりたくもなるが、そうしてしまっては悪印象を残す。自らで解消できれば良いが、それもまた難しい。嫌われているとわかっていれば、どうせならばと当たって発散もできるが、真に嫌われているかは結局わからない。こうして突き詰めていくと、他者に悪感情を見せるのはよくないことだが、自らの内にとどめ続けるのもまたつらい。されども誰かに悪感情を見せたことが影響し、また次の悪感情を生む可能性が出てくる。なかなか八方ふさがりで、どこかでリスクを取っていくよりほかないのだろうか。

 

影を拝むしかない

最終的には信頼している人間に、少しだけ見せるのがよいのではないかと思う。真に良い関係が築けているのならば、程度はあるが決して悪いばかりには受け止められないだろう。しかし、心の中が見えない以上、信頼があるかどうかは分からない。信頼している?と直接聞いたところで、どんな返答が帰ってきてもそれは信じるに値しないだろう。最後は目に見えない虚ろを信じてベットするより他ないのだ。