Rakraの雑記

好きなことを好きなように書いています

零落の孤立を保っている

泥土に這い蹲っている

アイドルさんのことばかり書いていても馬鹿みたいなので、別のことも書いてみる。私は度々ぼっちなので、と謎アピールしてきたがこれは全くの事実で、友人と呼べる人間は一人もいない。悲しい人間である。思ってないけど。

別に人見知りとか人嫌いとかそういう訳ではない。会社で話す人間はいるし、現場でも声をかけられたら笑顔で応対する。ただ、私の私生活に他人を入れていないだけだ。特別に主義があってやっているわけではないけど、強いて言うなら自分の人生を幸せにするために、オミットしやすい関係性を意識しているのかもしれない。

世間一般では繋がりは重要視される(注:推しメンとプライベートで会うことではない)けど、私に言わせればそれは大いに誤った考え方である。人生の幸せを考えたとき、山あり谷ありよりかは平地が続くほうが歩きやすい。物語の主人公にみんななりたがるが、なったらなったで大変なのである。一部の優れた人間以外は平地をぼんやり歩いているのが一番楽でよい。では、平地を歩くにはどうすればいいのか。単純である。自分で歩く道を選べばいいのだ。

 

only one ではなく lonely one

世の中お一人様に優しいようで厳しい。それも当然だ、資本主義の世の中なので、金を稼ぐためには供給源を増やすのは手っ取り早いしリスクヘッジにもなる。お一人様客よりもお二人様客が優先されるのは当然だし、理にかなっている。また、人間とは社会的生物であり、ピクミンの様に集団生活を送っている。ひとりとはそれだけで異物であり、集団の輪を乱す。はっきり言ってぼっち側も気まずいし、正直不利益も多い。

しかし、それを補って余りある(というと大げさだが)のメリットもある。それは人生のコントロールを格段にしやすくなることだ。もしあなたに友人が沢山いる、社会性ある人物なら一度くらいは興味がないが友人のために何かをしたりした経験があるだろう。そういった雑事を排し、己の人生のコントロールを己で行えるのは幸せを掴み取りやすくなるのではと私は考えている。不幸は過去からやってきて、現在や未来から唐突に訪れるものではない。いかに過去に不幸を置いてこないかが幸せに生きるコツだ。愚行権を否定するつもりはないが、多くの人間は自ら不幸になろうとはするまい。それでも不幸になるのは、自らがコントロールできない領域が存在するからだ。

その領域をゼロにすることは非常に難しいが、狭めていくことは可能である。他人とはコントロールできないものの代表格であり、また時として幸せに対する競合でもある。予想しないところから刺されることもあるだろう。私はその子はただの推しメンであって、キミの様にガチ恋違うから!恋のライバルじゃねえ!

 

Y = 1 が理想

友達がいた方が楽しいこともたくさんある。私はボードゲームやカードゲームが好きなのだが、友達がいないから遊べない(笑)。ただの阿保である。少々のマイナスを気にして、大きなプラスを捨てるのは少々以上に愚かであるとも思う。でも、私は私の力で私を幸せにできるのだ、その大小はともかくとして、少なくともプラスに維持できる適正がある。それに、大きな幸せは不要だ。"不幸でない"ことを重視していきたい。